
不定期連載、「今だから話せるRQ時代の裏話」シリーズPart2
山崎みどりのブログジャック! 始まるよー!
前回のインリン・オブ・ジョイトイさんに続きまして、
我らが山崎みどりさんが登場します。
こないだまで、サーキットでしょっちゅう会っていた気がするから、ひさしぶりって感じがしないんだけれども、
レースクイーン・オブ・ザ・イヤーをお取りなされて、その後は、芸能活動に向かわれたみどりちん。
いまだから、話せる「秘話」が盛り沢山!!!!
3回に分けてお届けします。
第一回は、
「山崎みどりは、
あーーーーー恥ずかしい勘違い、をしていた」の巻
PHOTO/TAKANORI YAZAWA
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Qブロ! をご覧のみなさま、こんにちは。山崎みどりです☆
まずはじめに、「レースクイーン」による「レースクイーン」のためのサイトが新しく誕生したこと、その場所にこうして呼んでもらえたことに感謝してます。
だって、「レースクイーン」というお仕事は私の人生を大きく左右した経験と言っても過言ではないし、言葉に表せないくらいたくさんの素敵な思い出を与えてくれた、ともて大切な体験だったからです。
そう。レースクイーンというお仕事をやってなかったら、今の私はなかったと思ってますからね。というワケで、今回は普段はあまり語らなかったレースクイーン時代の思い出話をあれこれ語っちゃいます。調子に乗って、いらんことまでベラベラ話し過ぎたらごめんなさい(汗)。
と前置きしつつ、まずはレースクイーンになったきっかけからスタート!
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大志を抱いて上京した土佐女、
裏方からまさかの表舞台に出撃したきっかけは……
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なにを隠そう高知から上京してきたころは、自分が「レースクイーン」をやるとは想像もしてませんでした。そう、私には別の夢があったんです。地元でヘアメイクの専門学校を卒業した私は東京でメイクの腕を磨いて、ニューヨークに行って一流のヘアメイクアーティストになる。そんな野望があったのです。
まー、今でも諦めたわけでもなく、知っている人は知っていると思いますが、モデルのお仕事とヘアメイクのお仕事の二足のワラジを履いてまして、スタッフとしても様々な現場にお邪魔しております。そう。はじめは裏方としてこの業界に足を踏み入れたんですね。
東京に出てきて、はじめはメイクのお仕事だけでは食べて行けず、友達の紹介でコンパニオン派遣のお仕事をパートタイム的にやってたんです。そんなときに、「レースクイーン」業務をメインに扱う今の事務所の方にスカウトされたワケですが、ヘアメイク志望の私としては当然、興味を抱くハズもなく。
軽ーく流してたら、お仕事が終わるまでそのマネージャーが外で待ってたんです。それも5時間。それも寒空のなか。鼻水垂れてました。普通の展開でしたら、ここで熱意に心打たれて……となるワケですが、あまりの熱意に怖くなり裏口からそそくさと帰りました。ヤマサキ、ひどい女です(汗)。
で、それから数ヶ月後、今度は別の見本市でコンパニオンのバイトをしていたときに、またしてもそのマネージャーと再会。これは偶然か運命か、ここまできたら喰わず嫌いでいるよりも、一度挑戦してみようとなったワケです。ヤマサキ、あまりの一生懸命さに母性をくすぐられ、折れました(笑)。
でも、今だから話せますけど、はじめて「レースクイーン」としてサーキットに行くまでは、「レースクイーン」という職業に、あまりいい印象を持ってなかったんです。ていうか、めちゃめちゃ誤解を抱いてたんです☆
PHOTO/TAKANORI YAZAWA
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◯◯族だったヤマサキ、
レースってヤンキー集会みたいなものだと思ってました
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「レースクイーン」というお仕事はもちろんのこと、そもそもレース自体の知識がゼロ。田舎で育ったきたこともあって、アスファルトすれすれの低ーい車高の改造車を見て、あれってヤン車!? てことは、運転してる人(レーサー)も、まわりで車をイジってる人(メカニック)も、大声で指示してる人(監督)も、ひょっとして……"族"?……みたいな!? もしくは……"元ヤン"……とか!? てことは、レースクイーンって……族の集会に華を添えるのが仕事!? なんて勝手に想像を膨らませてました。ホント、失礼な女です。すみません、ヤマサキこそ、妄想族でした(汗)。
そんな、カロリーゼロでなく、知識ゼロなまま始まったレースクイーン人生の第一歩は「スーパーGT 500クラス」の『ZENTsweeties』。赤い帽子がトレードマークの人気チームに運良く入ることができ、それから3年間もお世話になったわけですが、ここでレースの知識もレースクイーンのイロハも、いろいろと学ばせていだいたことは幸せでした。
まずは、それまでの勝手な妄想は吹き飛んだワケで、レーサーさんもメカニックさんも当然のことながら真剣そのもの。1分1秒を争う現場でプロの仕事とは何なのか。夢をカタチにするために情熱を注ぐとはどういうことなのか。肌で実感することができたの貴重な体験でした。
そんななか「レースクイーン」としてもチームの一員として同じように情熱を注ぎたい。マシンがポールポジションを目指すように、「レースクイーン」としてもプロの仕事をしたい、1位を目指したいという情熱が私の中にも芽生えはじめた。いろんな関係者にレースのことを聞いたり、本を読んだり。
そのうち、エンジン音とか、タイヤの焼けた匂いとか、オイルの芳ばしい香りに好きになり、ある意味、中毒となり。ときとしてお仕事でないのにもプライベートでレースを観戦しに行ったりと、レースジャンキーになってたのでした。
余談ですけど、ヤマサキ、かなりの負けず嫌いでして、高知時代、ギャル服の店員だった頃は、負けるのが嫌で誰よりも頑張り、売上げ年間No.1だった実績があります(汗)。
ーーー以下、次回に続く!
次回、
ギャルオン(ギャル・オン・ステージ)の超ピーピーピーの裏話が登場!!!!
PROFILE◯山崎みどり☆MIDORI YAMASAKI
1983年1月8日生まれ、高知県出身。身長167、B85・W58・H84。
2005年より3年連続で『スーパーGT』の『ZENTsweeties』、同じく2005年より2年連続で『鈴鹿8時間耐久レース』の『JOMOレースクイーン』に抜擢されたほか、『F1日本GP』では、2005年『マイルドセブンルノーイメージガール』、2006年『マイルドセブンルノーF1イメージガール』、2007年『MILDSEVENイメージガール「BLUE CUTE』としても活躍。2005年の『オートギャラリー東京』では『レースクイーングランプリ』を、続く2006年には『レースクイーン・オブ・ザ・イヤー06-07』を受賞。名実ともにトップレースクイーンの地位を築いた。現在は、『ベッツィ ジョンソン』専属モデルほか、グラビアアイドルとしても活躍するほか、メイクアップ・アーティストとしても、その才能を発揮している。
公式ブログ『MIDIRI'S BLOG』(http://ameblo.jp/yamasakimidori/)