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レーシングインタビュー百番勝負
2009年06月15日
【インタビュー】05 土屋圭市 「D1は『バカ』が最高の褒め言葉」

 

 

 あのねー、D1の世界だと、

 「こいっつ、最高のバカだね」ってのが、

 最高の褒め言葉。


            土屋圭市

 

 

         PHOTO/OSAMU FUJIMARU

 

 

 

ハンドル握っても才人、テレビに出ても才人、そして、イベント発明家としても才人。「世界のドリキン」こと、土屋圭市さんが登場。さまざまな顔と才能を持つこの男を、

 

・角度1:D1グランプリの創設者

・角度2:ルマン30人抜きほか、数々の伝説を持つドライバー

・角度3:ARTA元監督、現エグゼクティブ アドバイザー

 

の3つ角度から、インタビューしました(だから全3回です)。最も”べしゃり”が立つレーシング・マンの軽妙洒脱な絶笑トークをお楽しみください。今回は、D1が生まれて育っていく知られざるお話。プロジェクトX 〜その時、海を渡った〜 調ですよ。それではシグナル・ブルー!

 

 

 

KEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYA

 

 モータースポーツとして、

 陽の当たる場所でやってやろうじゃないか

KEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYA

 

 

 

 

●D1はどんな経緯で生まれたのですか?

 

「10年前。ドリフト族だとか、走り屋だとか、世の中が困ってますみたいなのをテレビニュースで見てて、それが嫌になったのが最初のきっかけだよね。『こんなもんじゃない!』と」

 

 

●わははははっっ。つまり、土屋さんは、その映像に映っているドリフトのレベルの低さに怒ってるわけですよね。意外にも。その目線がリアルすぎます(笑)。意外だけれども、説得力がありすぎる(笑)。

 

「そんなね、埠頭とか、峠でやっているようなのは本当のドリフトとは言わない。冗談じゃないよ、一緒くたにするなんじゃない、と。本当のドリフトってのが世の中には存在するんだ、と。よし、モータースポーツとして陽の当たるところでやってやろうじゃないか、って。そして、世の中に活かしてやる。テレビが 『ドリフトなんて悪だ』って言っているけど、ただの暴走行為を見て、すべてが悪とか言うな、と。そこからだ。世の中には、うまいヤツがゴマンといる。みんなひっくるめてドリフト族って言われているけど、うまいヤツはサーキットでしか練習しないのね。それを陽の当たる所に出そう。それだけ」

 

 

●それだけ?(笑)

 

「そう。それだけ。だからね、自分がレーシングドライバーの現役のときに、俺が客を呼んでいるんだ‼、っていうつもりで走っていたからね、俺は(笑)。サーキットに来る5万人は俺を見に来ている。星野一義さんも鈴木亜久里も片山右京もいるけど、全部、俺目当て。俺の走りを見に来ているんだろ?って。だから、光ったオーラのある走りを見せないとダメだな、っていうのがあったから。ドリフトにしても、『しょぼいドリフトしか出来ないなら、帰れ!』って気持ちがね、あるわけですよ」

 

 

●D1黎明期はどんな様相だったのですか?

 

「D1を始めて一年目なんかは、『俺ができるようなドリフトしか出来ないなら、帰れ帰れ』と言っていた。D1に出たいと思うドリフト族というのは、結局のところ、日本に散らばっている各県の暴走族のリーダーじゃない。『うるせぇよ、土屋、俺のドリフトにけちつけんじゃねーよ』と言うヤツばかりで、それも俺は『いいから帰れ帰れ』って。そこから始まっているから」

 

 

●え、そのときは、集まってくる人たちのなかに、「ドリキン土屋圭市」を尊敬する目線はないんですか?

 

「もちろんない。『土屋圭市、上等だよ!』ってのが日本全国から集まってくる(笑)。だから俺が、じゃあ、やってやろうじゃないかーか、って俺が走って、『おまえら、この走りをやってみろ』って、そうしたらヤツらは『できません……』って(笑)」

 

 

●ははははは。率直な聞き方をすれば、ドリフトは何が楽しいんですか?

 

「車ってこんなことできるんだよ。右にハンドル切っているのに左に曲がることができるんだよ(※詳しい理屈はページの最後で解説)。なんで、こんなに車(タイヤ)から煙が出るの? っていうバカバカしさ。こんな究極のバカバカしさ、世の中にはないだろ? っていう、そこだよね。で、ラリードライバーにも真似できないだろ。時速200kmで舗装の上でドリフトしてるのはD1だけだろ? っていう(笑)。だから、ヤツらは究極のバカ! でも、あのねー、D1の世界だと、『こいっつ、最高のバカだね』って言うのが、最高の褒め言葉。誰が見ても『バカだね、こいつ』っていうのが最高の走り。究極のバカが評価されるという逆転現象ですよ(笑)」

 

 

●ということは、D1はさながら「究極のバカ・トーナメント」ですか?

 

「そうですよ(笑)。最初の頃は、勝ち抜き戦がなくてね。一台一台走らせて、俺が審査委員長として、点数をつけて勝ち負けを決めていた。いま、決勝ラウンドは、2台同時に走らせて、勝ち抜き(トーナメント方式)でやっているんだけど、当初の採点制のままだと、だんだんみんなが100点に見えてくる。それじゃあ、俺が審査していてわかりにくい。じゃあ、『2台で走れ。どっちがすごいかやってみろ』という。勝ち抜き方式を思いついたのは、ただ単純に、俺の理由から来ているんだけどね(笑)」

 

 

●結果的に(笑)、わかりやすいし、興奮が盛り上がるし、グッドアイデアでしたね。D1は「車のフィギュアスケート」とよく言われますけれど……

 

「そうですね。フィギュアスケートの様な繊細な技術! そして、決勝ラウンドは『相撲』。誰にでもわかりやすい。勝敗がきっちりつく。ガチンコ勝負!!! それでいて、早く決まるしね」

 

 

●自動車でフィギュアスケートをさせて、自動車で相撲を取らせて……、トンでもない発想ですわ……。D1が興味深いもうひとつの側面は、そうやって土屋さん個人から生まれたものが、海を越えて、外国のあっちゃこっちゃで人気になってきたことですね。これはすごいですよ。文化輸出ですもん。

 

「うん。5~6年前、アメリカ。『おぅ、赤字でもいいよ、日本で儲けた金をアメリカで遣っちまおうぜ』ってアメリカに行った。その時にディスカバリーチャンネルと、CBSと、イギリスのBBCが取材に来て、バーって放送されたわけ。それで日本に帰って来たら、アメリカ空軍から話が来たのね。スポンサーになるから、来年も来てくれと。こりゃまんざらでもないのかな、と。最初は『ウン千万円も赤字だから無理』と言ったら、米国がお金を出してくれると言っているし(笑)。招聘元がアメリカ空軍=US AIR FORCE だもん(笑)。で、ロサンゼルスのアウインゼール・スピードウェイってところでやったら、……開会式は空軍の飛行機がキーーーーーンッと飛んで。軍曹だか大将だかが開会式の挨拶やってくれた(感謝)」

 

 

●土屋さんが言う「究極のバカ」の面白さには、言葉の壁なんて1mmぽっちもないんですね(笑)。

 

「そうだね。そこから、今度はBBCから『イギリスに来ないかい』って話になって。BBCとシルバーストーンサーキットのオーナーが金を出してくれて(笑)(感謝)」

 

 

●え。英国シルバーストーンサーキットといえば、泣く子も黙る、モーターレーシングの聖地ですよ。F1総本山、みたいな! もうこれは、ブルース・リー『死亡遊戯』(78)か、「ドラゴンボール」のマッスルタワーに匹敵しますよ。あっちは作り話だけど(笑)。

 

「(笑)それがまさに、行った日のシルバーストーンサーキットが、ちょうどF1のテストデーだった。オーナーが『これから、D1のキングが走るから、おまえらピットに帰れ』ってF1の連中に言っちゃって。F1を止めちゃうんだよ!(汗) ふつうだったら、『D1? F1が走り終わるまで待ってろ』ってなるんだけどねー」

 

 

●わっおー、道場破りじゃないですか!!!! 期せずして、「F1 vs D1」じゃないですかっ!!!!!!  もう漫画の世界やー。異種格闘技戦だ(笑)。

 

「もうね、笑っちゃうよね。で、走るか、ってなったんだけど、連れて行った6人のドライバーが『ここのコース、危なすぎますよ』って尻込みした」

 

 

●「土屋圭市、上等だよ!」とかつては叫んだ連中が(笑)。

 

「シルバーストーンの危険なコーナー。失敗したらガードレール(直撃)だなーと、そういう危険なコーナー。6人も引き連れて乗り込んで、失敗したらどうするんだ!?『じゃあ、俺がやるよ』ってなっちゃった(汗)。シルバーストーンのオーナーも見ているし、BBCのプロデューサーも見ているし、ここで失敗したら、こいつらも、D1ももう二度と取り上げてくれないだろうな(悩)、と。で、俺がやった。ヘルメットをかぶった。4速全開ドリフト!(気)」

 

 

●行ったーーーっ!!!! ギャーと悲鳴を上げて高鳴るエンジン音、巻き起こるタイヤスモークの白煙っっ!!!!

 

「(笑汗)たまたま一発で決まって。『ファンタスティーーーーックっっ!!!!!!!』って外国人のヤツらが叫んで。拍手喝采で。こっちは静かに『よし、ラッキー』 みたいな(笑)。二回やったら失敗するなと思ったから、一回でやめて(笑)。あとは、『ほら、できるだろ?(勝) おまえら(上から目線)』と言って(笑)。

 

 あれは……賭け。できたらいいなっていう賭け。俺は、しばらくドリフト走行してないし、できなかったらまずいなー。でもできた。だから、運とツキと流れがあるんだよね。そういう時に限って勝負強さがあってね」

 

 

 

         PHOTO/OSAMU FUJIMARU


 

 

 

 

●パチパチパチパチ。こういうときにこそ「さすが」という言葉を使うべきですね。その次のステージで、土屋さんは、ハリウッド映画『ワイルドスピード ×3 TOKYO DRIFT』(06)の競走場面演出家(※正確には”スーパーバイジング・テクニカルコンサルタント”という肩書き名)にまで、行っちゃうんですが、それは、このシルバーストーンをクリアしたからですか?

 

「あれはね、漫画の『頭文字D』(講談社刊)の流れだね。しげの秀一先生が俺のファンでいてくれて。その前に描いていた『バリバリ伝説』が終わって、 『頭文字D』に移行した時に、しげの先生の家に行ったら、俺の本とDVDが全部並んでるわけね。俺が『ねぇ、俺のパクリでしょ!』って言ったら、先生が『いや僕が考えたことです』って、すかさず『いや、全部俺がやったことじゃん! 俺の技じゃん!』って(笑)。で、そうしたら今度は、『頭文字D』がアニメ化して、世界中に広まって、……そのうちに、ハリウッドから話が来た」

 

 

●ハリウッドが土屋圭市を探したわけですよ。さっきは「F1 vs D1」、今度は「D1 vs ハリウッド」もんなー、どうなってんだろ、頭がクラクラしますわ(笑)。

 

「US AIR FORCE とハリウッドの関係があったりなんかして……俺を探して、ユニバーサル映画の社長が俺に会いに来てくれたんだよね。『ドリフトの映画を作りたいんだ』と。俺に『監修してくれ』と、ギャランティーの提示は・・・㊙㊙㊙㊙だったかな」

 

 

●ぅわーぁおな額でございまして。

 

「そのときのユニバーサルの話では『2.3回、アメリカに来てくれればいい』 って、でも『いや、俺がやりたいようにできないんだったら、やらない』って言って。それから(台本チェックのやりとりをして)3回くらい書き換えてもらって。それで、『そんな大金はいらないから、日当だけで良いから』って。そのかわりドリフトの現場は俺に仕切らせてくれ』。それが条件でやったんだ。今思うと……㊙㊙㊙㊙、もらっといたほうがよかったけどね。ははははははは↓↓↓」

 

 

●ははははははは。あの映画は未見の方にはぜひ見ていただきたいですね。ご紹介すると、表向きには、日本に転校してきた鼻っ柱の強いアメリカ人高校生がドリフトと出会う青春ストーリー。……とにもかくにも、レーシングシーンがものっすごい! アメリカの客は映画館でおったまげた。なかでも、主人公が峠で練習するシーンや、峠での2台での追走シーンは、ド迫力モノです!!!  それらのドリフトシーンは、土屋さんが運転されている。とくに、あの美しくも壮絶な、ループ・カーブを2台併走でドリフトで入っていく場面は……あのシーンは土屋さんとお弟子さんが運転されてるんですよね?

 

「そうそう、実際にある峠を閉鎖して撮影したんだ」

 

 

●ハリウッドが腰を抜かしたんじゃないですか? こんなにすごいカースタントができるのか!!??? って。どんなコーディネーターを連れて来たんだ!? 誰が運転しているんだ!? って。

 

「そうそう。ホントは歌舞伎町と渋谷の路上で撮影できるはずだったんだよね。そしたらやっぱり、○○さんがダメって。おいおい、言ってることとやってることが違うだろ!! 知事になった時、映画を撮らせるって言っただろ!!! って思ったけど、従うしかないと……そしたら、ユニバーサルの社長も怒っちゃって、ハリウッドに渋谷を作っちゃおうということで、150mくらい渋谷を作ったんだけど。そういう、ドリフトの場面はCGは使わない、って約束で、撮った」

 

 

●ハリウッドから、カーアクション・コーディネーターとかスタント・コーディネーターの仕事は舞い込まないんですか。

 

「ないことはないけど断った。こっちが忙しすぎて。1か月拘束とかね、無理。ゼニカネじゃなくて、『俺は日本でレギュラー10本やってるから、無理です!』ってね。破格かどうかはわからないけど、おカネじゃなくてねー、自分が納得する作品に仕上がるか、だよね。要はね。CGばっかり使われたら、俺が出なくてもよかっただろー、みたいな感じになるし」

 

 

 

KEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYA

   夢は叶えたか? いや、まだ叶えていない

 恩返しがまだだから

KEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYAKEIICHITSUCHIYA

 

 

 

●まぁ、こんなふうに、ドリフトから始まって、D1から、USエアフォースから、ハリウッドまで巻き込んでる、”ドリキン”土屋圭市伝説”21世紀版”。 土屋さん、夢は叶えてきましたか?

 

「叶えてない」

 

 

●あらら?

 

「みんなを幸せにしていない。少なくともうちのARTAという小さなチームの全員が幸せか?って言ったら、まだそうじゃない。じゃあ、D1は?って言ったら、まだそうじゃない。みんなが幸せになったときに、きっと俺は成功した、って思えるかなぁ!?」

 

 

●その幸せは、具体的にはどうなったら、土屋さんの成功なんですか?

 

「少なくとも、俺に関わった人ヤツは、年収1000万以上、つまり、ふつう以上の生活はできるってことかなぁ……」

 

 

●超リアルで、地に足が着いた厳しい設定なんですね。意外な言葉に驚きました。

 

「それができたとき、それが俺の成功。それは恩返しだと思う。俺だけ成功したから、じゃあ、はい終わり、ってのは、俺の老後が……最期、いい死に方しないと思う。俺はそう思っているのね。俺を幸せにしてくれたから、おまえを幸せにしてあげられる。それができて、初めて成功だと思える。走り屋が、俺の本とDVDを買ってくれて、今度はヤツらを成功させてやる。ただ、これが、ヤツらは生意気なんだよねー(笑)」

 

 

●さきほどの、シルバーストーンのくだりで「運とツキと流れがあるんだよね」とおっしゃったけれども、躊躇しない強さを感じました。レーシング・マン特有の潔さというか。レースをやってない人間はほしいなと思っちゃいます。

 

「レースをやってようがやっていまいが、一日一日が賭けごとだと思うんだよね。生きるってことは。ってことは、悩んでも答えなんてでてこないし、失敗しても死ぬ訳じゃないし、だったらやろう、っていう。俺のなかでは、すごい簡単だよね。でも、俺に限ったことじゃない。これやったら死んじゃうと思ったらやらない。殺されないんだったら、まずやってみよう。ってね!!」

 

 

●「殺されないんだったら」って大げさに聞こえますが……(笑)。そういう言葉が口をつくのは、そういう経験があるからですよね?

 

「そう」

 

 

 

ーーー以下! 次号へ続く!!!

 

 

 

 

※「ドリフト走行」の簡単解説。

 

 コーナーを曲がる時、車は遠心力で外で放り出されそうになる。その”放り出し”の力を利用して、後輪を真横に滑らせたまま、向きを変えて、車をほぼ平行に走らせる走行方法。ハンドルは多くの場合、曲がりたい方向と、逆ハンドルを切る。見た目には「カニ走り」に見える。また、タイヤが横方向に路面と摩擦するために、表面が溶けて、白煙があがり、ゴムの焼ける匂いがする。

 路面との摩擦係数が関係するため、ウェット路面やダート路面ではドリフトしやすく、ドライのアスファルト路面ではやりにくい。そのため、ラリー競技ではたびたび見られるが、舗装サーキットレース競技(F1や、スーパーGTなど)では、タイヤの摩耗を促進してしまうため、あまり用いられない。

 

 

 

 

 

PROFILE●土屋圭市


1956年1月30日、長野県生まれ。峠や雪道で走り込み、77年に富士フレッシュマンレースでデビュー。派手なテールスライド走行で『ドリフトキング(=ドリキン)』の称号を与えられる。以降、ドリフトの魅力を全世界に広めていく立役者となっていく。レーサーとしては、92年から『チーム国光』(グループA、N1耐久=いずれも当時のカテゴリー)で活躍。95年のルマン24時間耐久レースでは、GT2クラスで、決勝ではピットスタートから「驚異の30台抜き」など数々の伝説的走りで人気者となった。00年代以降は、鈴木亜久里と組み、スーパーGTの前身、全日本GT選手権に参戦。01年には、ARTAで優勝を含む、年間総合2位。03年にレーサーを引退。スーパーGT・ARTAのチーム監督に就任。00年から新たに展開したドリフト走行の選手権「D1グランプリ」シリーズは、ロサンゼルス、シルバーストーン(英)他、マレーシア、上海、ラスベガスなどで開催。趣味は犬の散歩。

 

 

 

次回は、インタビュー中編「殺されるわけじゃないでしょ?」(仮)をお送りします。土屋圭市流儀を作った、”あの3秒間” の秘話とは……。お楽しみに!

 

 

                  (構成・文/スケタケシン

 

 

 

★★★インタビュー百番勝負<過去記事>もあわせてチェック★★★

 

 004 福山英朗【後編】「君は人生を擲てるか?」

 003 福山英朗【前編】「耐久レースは人生に似ている

 002 鈴木亜久里【後編】「四文字ワードを語る

 001 鈴木亜久里【前編】「スーパーGTは恋に似ている

  

 

 

 

 

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